■本格神前式
■地域 : 東三河エリア
■特徴 :
寛政五年江戸の三宅藩邸で生まれ諱(いみな)は定静(さだやす)、通称を登り(のぼり)、崋山と号す。十二歳のとき日本橋で池田候の先供に打擲されて発憤、学に志し鷹見星皐、佐藤一斉、松崎慊堂に入門、貧を救うため絵を金子金陵、谷文晁に学び、独自の新境地をひらく、四十歳のとき家老となるや、報民倉の設置、藩校成章館の充実、人材の登庸等藩政の改革につとめ、さらに高野長英、小関三英と交って世界の大勢を知り、鎖国政策を批判し、江川担庵を通じて幕閣へ意見の反映を試みたため、蛮社の獄に捕えられ、在所田原へ蟄居を命ぜられる、この間、弟子等の行った画会が不謹慎の譏を受け累の藩候に及ぶことを恐れ、天保十二年十月十一日幽居において自刃 享年四十九歳。忠孝の武人、優れた文人、画家、経世家、憂国の先覚書として明治以来修身教科書などによって称楊さる。昭和十五年百年忌に当りその遺徳を偲び神社創建の儀がおこり戦中戦後の困難な中、曲折を経て昭和四十一年社殿を造営して現在に至る。
■駐車場 : あり
■挙式形式 : 神前式