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平坂熊野神社

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■地域 : 西三河エリア
■初穂挙式料:縁-えにし  ¥50,000(神楽舞あり)
       結-むすび ¥120,000(雅楽3名奉仕)
       雅-みやび ¥180,000(舞楽8名奉仕)
■控室:無料
■着付室:無料
■その他:祭事の日程等があり、要確認
■特徴 :
平成26年度に拝殿が新たな姿に生まれ変わりました。
龍とヤタガラスが対峙した、荘厳な天井絵もございます。
竹明りの中の浄闇挙式も執り行うことも可能です。

八幡宮

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■地域 : 東三河エリア
■初穂挙式料 : ¥80,000~
■雅楽 : テープ
■控室 : 初穂料に含む
■着付室 : 初穂料に含む
■その他 : 平日 可 (但し、大祭日は除く)
■特徴 :
 およそ1300年前の飛鳥時代、第40代天武天皇の白鳳年中(675~685年)に大伴氏が勅命を奉じて、豊前国・宇佐八幡宮より八幡神を歓請したのが始まりとされています。朝廷から神戸、神田、御厨の所として、宮路郷7邑を賜り、三河国一社の八幡宮として、国司が祭事を執り行ったといわれております。三河国内神名帳の筆頭に「八幡三所大菩薩」と記載されており、由緒の古く遠いことを物語っています。 奈良時代には、第45代聖武天皇が、天平13年(741年)に仏教による鎮護国家の功徳を願い、当宮の東に隣接して国分寺、国分尼寺が建立された。国分寺鎮護の神としての役割も担いました。

伊賀八幡宮

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■地域 : 西三河エリア
■初穂挙式料: ¥120,000
■雅楽: 初穂料に含む。生雅楽
■控室: 無料
■着付室: 無料
■その他: 
■特徴 :
天文4年(1535年)。12月織田信秀が、岡崎城を攻めとろうとしたとき、松平家8代の広忠公は、伊賀八幡宮に戦勝を祈願して、織田勢を井田ヶ原に迎えうった。その時先頭に白馬に乗った武者が現れ出て、敵陣めがけて白羽の矢を放った。すると伊賀八幡宮の神殿が鳴動し、宮の森の上から黒雲沸きのぼり嵐をよび、たくさんの白羽の神矢が雨のように敵陣にとんだ。たちまち、2万余の敵は敗走していった。広忠公は、伊賀八幡宮の御加護也と感激し、みずからその神矢を拾い、神前に奉納した。
家康公も崇敬の念きわめて厚く、初陣の参詣を吉例に、以後、大きな合戦の際には必ず祈願した。


知立神社

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■地域 : 西三河エリア
■初穂挙式料: ¥50,000
■雅楽: 初穂料に含む。
■控室: 要相談
■着付室: 要相談
■その他: 
■特徴 :
知立神社は、池鯉鮒大明神とも称し、古来三河国第一の名社で、東海道沿線屈指の大社であります。
当神社は古来「蝮よけ、長虫よけ」「安産」「雨乞い」等の霊験いとあらたかにましますにより、崇敬者は全国にあまねく、従って御分社も県内は固より遠く関東関西に亙ってその数夥しく、又大氏神と崇敬して例祭に参拝した村落が古来四十有余にのぼり、現今に於ても当碧海地方一円の大氏神として崇敬を集めさせられて居ります。

井伊谷宮

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■地域 浜松エリア 引佐
■挙式奉仕料:¥50,000 テープ
(神職2名・巫女1名)
雅楽2管 追加 ¥20,000   
雅楽3管 追加 ¥50,000
■ 控室:無料
■ 着付室:無料
■ その他:
特徴:元弘建武の際勤王の大義に従事し、宗良親王を当地へお迎えして、以来多年終始一貫親王および御下尹良親王を輔佐し忠勤を励まれた地元の豪族であり、幕末に桜田門外に散った井伊大老の祖であります。
明治二年井伊谷宮鎮斎にあたり、明治天皇が御縁故があるからと井伊家に手伝を命ぜられたのもこの由緒によるものであります。よって明治三年従四位井伊直憲公が神祗省の許可をうけて造営致しました。

濱名惣社神明宮

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■地域 浜松エリア 三ケ日

■初穂挙式料:込 雅楽テープなし

雅楽2管(神職1名・巫女1名・楽人1名)¥70,000

雅楽3管(神職1名・巫女1名・楽人2名)¥80,000

雅楽3管・巫女舞(神職2名・巫女2名・楽人2名)¥100,000

■控室:無料
■着付室:無料
■その他:神職、巫女、楽人の手配の都合により、変更することもあります。

■特徴:創立の不詳ですが、垂仁天皇の皇女倭姫命が大和の笠縫邑より天照皇大御神の御霊を奉じて御鎮座の地を求め当社地に四十余日滞在され、のちに御神託により伊勢の国に向かわれたといわれております。
豊臣家や、徳川家歴代将軍の崇敬も篤く四十ニ石の朱印領を賜っていました。


市原稲荷神社

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■地域 : 西三河エリア
■初穂挙式料: ¥70,000
■雅楽: 初穂料に含む
■控室: 無料
■着付室: 無料
■その他: 平日挙式は要確認
■特徴 :
市原稲荷神社は、古くより「縁結び」「商売繁盛」「家内安全」「交通安全」の神様として多くの人々より『いちばらさん』の名で親しまれ、信仰されております。
当社はその昔、第36代孝徳天皇の白雉4年(653)に、亀狭山(現:亀城公園周辺)の地に神殿を創立したのが始まりといいます。柏原天皇の永世中に、徳川家康の祖父・水野忠政が亀狭山に刈谷城を築城の際に当社を現在の「市原」の地に移しました。正親町天皇永禄3年に、今川義元が千群万馬の大兵を率いてこの地方を襲来、義元指揮して当社の社殿を残らず焼き払いました。同年5年には社殿が再建され社運益々盛大にし熱心に崇敬致しました。承応3年4月、城主稲垣重祥候が重い病に臥した際、医薬はもとよりありとあらゆる手立てが成されましたが、一向に回復せず最後に神主が祈祷、城内鎮守の稲荷に対し知らず知らずのうちに不敬を加えた神罰であると悟り、重臣に命じ当社の拡張工事を進め、城内鎮守の稲荷祠を当社に合わせ祀り「市原稲荷神社」と致しました。

巴江神社

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■地域 : 東三河エリア
■初穂挙式料: ¥
■雅楽: ¥
■控室: ¥1,050~
■着付室: ¥1,575~
■その他: 平日挙式は要確認
■特徴 :
田原藩主三宅氏の遠祖児島高徳公は、垂仁天皇の命を受け、不老長生の薬、橘の実を求め献上した田道門守の子孫である。建武中興期、後醍醐天皇のお召を受け、各地に転戦し錦旗を賜る。天皇隠岐に移されるを聞き、急ぎ院ノ庄の行在所に至り桜の幹を削り十字の詩をしるす。「天莫空句践 天句践を空しうするなかれ」「時非無范蠡 時に范蠡無きにしもあらず」翌朝天皇ご覧になり、御心を安んぜられたという。後、高徳公は足助重範を頼り三河に至り、姓を三宅と改める。中興の祖三宅安康貞候は徳川家康に仕え、武力により三河挙母(現豊田市)梅ヶ坪の城主となる。寛文四年四代康勝候田原に移封される。文化十二年十二代康和候、児島社を巴江城内二の丸に建立し三宅康貞命を合わせ祀る。明治十七年県社となる。昭和八年本丸跡に遷座し、平成四年社殿を改築する






崋山神社

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■地域 : 東三河エリア
■初穂挙式料: ¥30,000
■雅楽: なし
■控室: ¥1,050~
■着付室: ¥1,575~
■その他: 平日挙式は要確認
■特徴 :
寛政五年江戸の三宅藩邸で生まれ諱(いみな)は定静(さだやす)、通称を登り(のぼり)、崋山と号す。十二歳のとき日本橋で池田候の先供に打擲されて発憤、学に志し鷹見星皐、佐藤一斉、松崎慊堂に入門、貧を救うため絵を金子金陵、谷文晁に学び、独自の新境地をひらく、四十歳のとき家老となるや、報民倉の設置、藩校成章館の充実、人材の登庸等藩政の改革につとめ、さらに高野長英、小関三英と交って世界の大勢を知り、鎖国政策を批判し、江川担庵を通じて幕閣へ意見の反映を試みたため、蛮社の獄に捕えられ、在所田原へ蟄居を命ぜられる、この間、弟子等の行った画会が不謹慎の譏を受け累の藩候に及ぶことを恐れ、天保十二年十月十一日幽居において自刃 享年四十九歳。忠孝の武人、優れた文人、画家、経世家、憂国の先覚書として明治以来修身教科書などによって称楊さる。昭和十五年百年忌に当りその遺徳を偲び神社創建の儀がおこり戦中戦後の困難な中、曲折を経て昭和四十一年社殿を造営して現在に至る。





八劔神社

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■地域 : 東三河エリア
■初穂挙式料: ¥70,000
■雅楽: 初穂料に含む
■控室: 無料
■着付室: 無料
■その他: 平日挙式は要確認
■特徴 :
當八劔神社は國内神名帳に從五位上八劔神社坐寶飯郡とある古社にして尾張國愛智郡熱田ノ宮に鎮りませる神靈を勧請移座せる深き由緒を有す

抑々當社は古來三谷郷産土ノ神として郷黨尊崇の中心たるのみならず又武神として世々の武將を始め一般衆庶(※旧字体)の崇敬を蒐む

建久元年安達藤九郎盛長は源賴朝の命を受け奉行となりて社殿の造営に任し徳川家康は天文十六年駿河ヘの途次及ひ天正十年濱松ヘの歸途特に當社に參拜して武運長久の祈願を籠めたりと傳ふ

慶長五年領主より社領の寄進あり

爾後各領主亦之に倣ひ以て明治維新に及べり

三河に葉松に三谷村八劔大明神社領六石六斗四升六合とあるは是なり

明治十七年八月十二日社格を附せられて郷社に列せらる

往昔は廣表四町四面の神域を有せしか戦國の亂世に及び縮狹せられて今は森と称(※旧字体)する地名に纔に其の名殘を留むるに過ぎす然共尚千八百有餘坪の境内には老松鬱蒼として社殿を圍繞し古を偲ぶに足るものあり

境内神社として源太夫神社諏訪神社稲荷神社御鍬神社秋葉神社尺地神社水神社金比羅神社の八社を存ず

安久美神戸神明社

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■地域 : 東三河エリア
■初穂挙式料: ¥50,000
■雅楽: ¥30,000
■控室: 無料
■着付室: 無料
■その他: 平日挙式は要確認
■特徴 :
天慶三年(940年)に平将門の乱平定の報賽として、朱雀天皇より伊勢神宮に三河国の飽海荘(安久美神戸)が寄進せられた時、伊勢神宮祭主の庶流大中基守が磯部、川野、清水等の人々を率いて神領地の司として赳き、天照天大神を祈願したことにはじまると伝えられています。
又、「鬼祭り」とよばれ、東三河に春の祭りとして、遠近各地より盛大に執り行われます。昭和57年国の重要無形民俗文化財に指定されました。
千有余年の歴史を持つ、安久美神戸神明社の社殿に於いて、雅楽の厳かな調べの中、執り行われます















富永神社

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■地域 : 東三河エリア
■初穂挙式料: ¥80,000(巫女無)
■雅楽: なし
■控室: 無料
■着付室: 無料
■その他: 平日挙式は要確認
■特徴 :
長篠合戦の後、天正4年(1576)奥平信昌は入船に築城した。その頃、平井郷の産土神に天一天王社があり、その分霊を慶長8年(1603)2月3日、現在地にかい勧請し、牛頭天王若宮と称され崇敬した。慶安元年(1648)3月菅沼定実が丹波亀山から当地に移封され、代々驚く崇敬した。境内及び高二石の土地を徐地とし、毎年玄米五表を神饌料として奉納した。氏子からは「天王様」と奉称され、広く崇敬された。明治元年(1868)6月、牛頭天王社は富永神社と改称された。同4年社格の制定により村社となり、同9年3月、近郷十五か村の氏神となって、郷社に昇格した。同40年10月26日供進指定を受ける。大正15年(1926)本殿・幣殿・拝殿が改築され現在に至る。昭和34年9月26日、伊勢湾台風により境内の樹木の大半が倒壊、大被害を受ける。平成5年(1993)3月、八等級(旧称郷社格)から七等級(旧称郷社格)に昇格する。

三河国府鎮守 大社神社

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■地域 : 東三河エリア
■初穂挙式料: ¥50,000(神主1名、巫女2名)
           ¥30,000(神主2名、巫女無)
■雅楽: ¥15,000(竜笛) ¥70,000(3管)
       ¥300,000(舞楽15名構成)
■控室: 無料(社務所) ¥10,000(集会場)
■着付室: ¥10,000(集会場)
■その他: 舞楽3ヶ月前までに予約(相談)
        平日挙式は要確認
■特徴 :
社伝に、創建は明らかではないが、天元、永観(978-984)の頃、大江定基三河守として在任に際し、出雲大社より大神を観請、国府の郷の大明神と称して天下太平、五穀豊穣を祈願する。社蔵の棟札は元和6年(1620)9月26日、延宝5年(1677)、正徳2年(1712)、享保16年(1721)の物がある。応永7年(1400)奉納の般若経が現存する。慶応元年(1865)5月8日徳川14代将軍家茂参拝短刀を奉納した。旧社家富永氏は永禄年間(1558)より、明治維新社家廃止まで神主を奉仕する。明治2年6月村社に列す。同40年10月26日、指定社となる。





挙母神社

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■地域 : 西三河エリア
■初穂挙式料: ¥50,000
■雅楽: テープ
■控室: 無料
■着付室: 無料
■その他: 
■特徴 :
神社の創建については諸説ありますが、一般的には文治五年(一一八九)源義経の家臣鈴木重善(善阿弥)が、奥州の義経のもとに向かう途中、この地で義経討死にを聞きここに留まり、その後大和吉野より「子守明神」を勧請して祀った、といい伝えられています。鎌倉実記・義経勲功記に「その頃熊野の鈴木次郎重善というものあり、矢作川の上、衣の里という処あり、彼の里に庵室をしつらい住まいけり、熊野の神を云々」とあります。また寛政年間に宮がれた挙母祀にも「子守明神は往古より挙母の鎮護たり、草創はいずれの年といまだ詳しからず、鈴木某熊野より・・・三河に留まり、と世俗の諺にいい伝へたり云々」とあります。江戸時代は「子守大明神」といわれ、歴代の挙母藩主が敬い、またこの地方の庶民崇敬の中心となっていました。明治四年県社として現在の「挙母神社」と改められました。

東田神明宮

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■地域 : 東三河エリア
■初穂挙式料: ¥50,000
■神饌料(しんせんりょう): ¥5,000
■雅楽: ¥60,000(3人)
■控室: 無料
■着付室: 無料
■その他: 平日挙式は要確認
■特徴 :
平安朝初期醍醐天皇延喜二年(902年)勅旨田飽海荘に神宮領御園職員令による国地司正として神宮禰宜一人、他に佑一人、令氏一人、使部六人を遺され榊山に天照皇大神を祀り、本社の東五百間の所に豊受大神を祀る、鎮地の神猨田毘古神を本社東三十間の処に祀るとある如く今(平成3年)から壱千八十九年前飽海荘神領主神宮禰宜が伊勢神宮の御分霊を奉斎する古いお社でございます。







羽田八幡宮

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■地域 : 東三河エリア
■初穂挙式料: ¥80,000
■神饌料(しんせんりょう): ¥5,000
■雅楽: ¥70,000
■控室: ¥2,100
■着付室: ¥10,500
■その他: 
■特徴 :
世に、八幡の神は全国八万神社のうちで分霊社が約二万五千を数え、神明社、稲荷社並んで日本三神社の一つに見立てられています。 その根本社を九州宇佐八幡宮とし、奈良時代聖武天皇の神亀、天平年中には早くも皇室の厚い信仰を得ました。 清和天皇の御代には宇佐から京都の石清水八幡宮が後冷泉天皇の御 代には石清水から鎌倉の鶴岡八幡宮が勧請されました。 全国の八幡宮分霊社の多くは宇佐、石清水、鶴岡のいずれかの分社です。宇佐八幡宮の御分霊社にして社伝によ ると白鳳元年の創立と伝えられ、古来、武門武将の崇敬が篤く、永禄四年十一月、今川氏真は東三河地方平定に際して社領十三貫七百文並びに神主屋敷、高畑五百歩を寄進されたと言う。
大正十三年二月十二日、郷社に列せられ、終戦後、神社等級の制度が定まり、七級社でしたが、昭和四十二年、四級社に昇級、県下の八幡宮の筆頭になっております。昭和三十九年に本殿以下社殿の改築がされ、昭和四十六年には結婚式 会場、羽田八幡宮参集殿、昭和五十年八月には社務所の造営と面目を一新、御神威益々加わってきました。

正一位牟呂八幡社

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■地域 : 東三河エリア
■初穂挙式料: ¥50,000
■雅楽: ¥25,000(二管)
■控室: 無料
■着付室: ¥10,000
■その他: 平日挙式は要確認
■特徴 :
文武天皇元年(西暦697年)の創設と伝えられ従五位牟留天神を祀る。文治2年(1186年)、武家の尊崇する八幡宮が次第に厚き信仰を得ていたため、貞応元年(1222年)鎌倉将軍の命により鶴ヶ岡八幡宮を模して改造し、牟呂八幡宮を創建した。この八幡信仰と相まって、祭神のも、変化をきたすようになる。社格は旧郷社で元冶二年(1865年)3月19日正一位の神階を受ける。祭神の応神天皇は第15代天皇であり、内政を整え、学問、芸術等の振興につとめた。神功皇后は、応神天皇の母親であり、動乱を治め、冶世につとめられた。









二川伏見稲荷

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■地域 : 東三河エリア
■初穂挙式料: ¥30,000
■雅楽: なし(テープ)
■控室: 無料
■着付室: ¥5,000(使用の場合)
■その他: 平日挙式は要確認
■特徴 :
設立は初代教長浦野勝雍師に依るが、その渕源は師が京都伏見稲荷大社より御分霊を奉戴した明治43年10月1日にある。以来旧豊橋の自宅に布教所を置き教勢の発展に邁進し斯道の研究修行に励んだが、信徒数の増大とともにこの地大岩の里に浄地を求めて建てたのが昭和2年2月23日に設立した。








 

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